イマヲイキル
石川県・金沢
和傘職人

松田 弘

「この人生。親父に感謝せなあかん。」

金沢の地で傘作りを生業(なりわい)とする家に生まれ、物心つく頃には傘を手にしていた。父より職人に学は必要ないと、尋常小学校卒業を機に本格的にその道を歩むことになった。元来傘作りは分業制で、それぞれの工程を専門の職人が手がけることで一本の傘となる。そこには500年の伝統が息づき、職人の技と誇りが込められている。だが、戦争がその様子を一変させた。和紙が徴集され傘が満足に作れない時代、また多くの職人が召集された。この戦(いくさ)で兄を失い、多くの仲間が帰ってこなかった。戦後はすぐに傘作りを再開し、日本は復興に沸いた。時代は欧米の文化へと移り変わり、次第に和傘は洋傘に押され売れなくなった。落胆する父、そして廃業する職人たち、その姿がみじめだった。何年も磨いた技がなんの役にも立たない。こんな絶望はなかった。そして心に決めた、自分を最後にこの傘作りを終えると。

今や、この手にする和傘に魅力はない。傘本来の役目を果たせず、誰もが受け入れない物に価値はない。また格式を表した和傘の文化もなくなり、その品格を知る人もおらず、単なるムード作りの傘となった。世の中が変わりその役割も変わった。でもそんな変化が今では面白いと感じる。それに、ただの傘職人が日本の伝統工芸を実演するため世界中を巡ることになった。みんな天国に行ってしまい、ずっと一人で傘を作り続けたことが、いつしかこんな夢のような経験をすることできた。親父のおかげでこの傘に出会い、ともに歩み、見てきた。いろいろあったが、まあまあの人生じゃないかと感ずる。

2012.7.17 取材
写真・文 ミゾグチ ジュン

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