構成・写真:ABARERU.jp
手や足に触れる木肌の優しさ、ほのかな木の香りに包まれるー。その居心地の好さは木の家ならではのことでしょう。
日本古来の木造建築は、日本の気候風土をかんがみて造られてきました。湿気をコントロールし、冬には木の内部に取り込んだ暖かさで包み、底冷えしないとい う利点、シックハウス症候群の原因となるホルムアルデヒドを吸い取ったり、木の香りによる健康効果など、木の家の効用は数え上げればきりがないほどです。
逆に木材は腐ったり燃えたり伸び縮みするという欠点もあります。しかし木材の特質をよく理解し、使い方をまちがえなければ大きな力を生み出すことができる のです。様々な研究も進んだ現在、健康志向や癒しを求める生活環境にあって、改めて国産材の良さに目が向けられています。またいい木材は如何様にもリサイ クルできることも時代に則しています。でも何といっても木の持つ魅力は人間に優しいこと、無機質ではないことです。
精進料理(しょうじんりょうり)の考え方の中に、自分の暮らしている地域の野菜を中心とした食事が、心身の健康を保つ…ということがあります。住まいも同じように、日本の気候風土、精神性や情緒に適した空間環境こそ、心身の健康によいといえるでしょう。
長い歴史を持つ吉野では、吉野林材振興協議会が中心になって吉野中央木材ほか多くの林業関係者が、吉野材に関わる多岐にわたる研究を重ねています。長年蓄積された技術や工夫を基盤にして新しい用途にもアイデアが生まれてきました。
明治時代の疑洋風(ぎようふう)建築などにみられるように、西洋文化を日本文化に融合させた、新し い日本のカタチ。それは日本独特の感性や工夫が創り出したものです。吉野でも古来の日本と西洋と、そして現代の日本を融合させる息吹が生まれています。それは吉野材というモノに込められたプライド…吉野ブランドという感性なのです。
吉野の割箸は国内資源を有効に活用するという精神から生まれたもの。吉野杉材で作る樽の端材の有効活用として考案され、現在は間伐材の端材を使って作られています。
今では、森林を破壊するという世間の誤解も少なくなりましたが、端材の活用は、資源を無駄にしたくないといった森林への愛情からくるものなのです。使われた割箸はリサイクルされ紙へ変身します。無駄なく無理なく使い切ることが吉野に根付いている哲学なのです。
吉野で最初に作られた割箸は“丁六(ちょうろく)割箸*20”と“小判型割箸”で、大正時代には“天削(てんそ)げ割箸*21”が考案され、現在では40種ほどのバリエーションがあります。
日本の食文化とともに進化を続けてきた箸。ただ二本の棒というシンプルな形ですが、つまむ、混ぜる、割る、ほぐすなど様々なことをやってのける優れた道具です。食事のシーン、料理のシーン、お茶席のシーン、そして神事など日本でお箸は決して欠かせないものなのです。
そもそも箸はどこで生まれたものなのでしょうか。はっきりとはしていませんが、中国で発祥したというのが定説のようです。当初は二本の棒状ではなく“折箸”(おりばし)というピンセットやトング状の形をしたものでした。日本へ伝わったのは弥生時代の終わり頃だといわれており、日本最古の歴史書『古事記』の中に、箸の存在を窺わせる記述が見られます。いわゆる“八岐大蛇伝説”(やまたのおろちでんせつ)の一節で、須佐之男命が川上から流れてきた、青竹を折り曲げた“折箸”を見て、上流に人が住んでいることを知ったというものです。その頃の箸は神様や天皇のものとされ、一般の人々が使えるものではありませんでした。今でも神事の際、ピンセット状の箸が使われたりします。
日本で二本の棒状の箸が使われるようになったのは7世紀頃のこと。聖徳太子(しょうとくたいし)が隋(ずい)(中 国)に送った使節団の報告から、箸を使った食事作法を知り、朝廷にその作法を取り入れたそうです。それが日本の箸食のはじまりとなりました。この頃は金属 製の箸が使われていたそうです。以来、日本での箸食文化はいろんな形で発展していきました。茶懐石やお正月、月見など季節の宴では、その催しに見合った意 味を込めた箸を使います。日本の各地に伝わる祭事にも、その土地独特の箸の作法が息づいています。日本人にとって箸は、単なる道具だけではなく、精神性の 象徴だったり祈りを込めたものでもあるのです。
茶聖として知られる千利休は「侘(わ)び茶」の祖・村田珠光(じゅこう)に心酔した武野紹鴎(じょうおう)に 若くして師事し、やがてその「侘び茶」を大成した人物です。千利休は茶会で客を招く日の朝、この日のために取り寄せた赤杉の箸材で、手づから削って人数分 だけの箸を作ったといわれています。その箸は両端を細く削って丸みを付けた、軽くて持ちやすく食べやすい箸だったそうです。この箸は「利久箸(利休箸)」 と呼ばれますが、千利休が茶道探究中に考案されたもの。まさしく茶の湯の真髄“もてなしの心”が表されています。
箸は日本文化の奥行きの深さをしみじみと感じさせますね。
吉野に伝わる逸話(いつわ)をひとつ紹介しましょう。
南北朝時代、吉野におられた後醍醐天皇に、下市の里人が杉箸を献上、天皇はたいそうこれが気に入り朝夕に愛用されたといいます。日本の箸は身近にあった木や竹で作られ、素木(しらき)が箸素材の中心となりました。後醍醐天皇に献上された箸も吉野杉の素木、やわらかく口あたりのいい杉箸は見た目にも美しく、日本人の感性に呼応するものだったのでしょう。
かつては神事や高貴な人々のものだった箸は、桃山時代の頃には現在のように一般の人々が使うようになりました。江戸時代の中期には外食産業の出現にそって割箸が生まれ、素木の割箸は日本の食文化とともに発展してきたのです。たかが割箸…巷で見かける外国産の割箸と違い、使いやすさに美しさが備わった吉野の 割箸…されど割箸、なのです。
丁六割箸:角や四方の面取りなど一切されていない割箸。
天削げ箸:上の端が斜めに削ぎ落とされた割箸。
以下は『木の国・吉野の物語』と『木の文化・吉野つれづれ』両方に共通します。
*参考文献
・木の文化の形成—日本の山野利用と木器の文化
〇須藤護著 (株)未來社出版
・季刊ふでばこ
〇(株)白鳳堂
・別冊太陽 山の宗教
〇平凡社
・にっぽん川紀行 紀ノ川
〇学習研究社
・熊野・高野・吉野
〇山と渓谷社
・民俗探訪事典
〇山川出版社
・日本料理の歴史
〇熊倉功夫著 吉川弘文館
・麹
〇一島英治著 法政大学出版局
・中埜家文書にみる酢造りの歴史と文化
〇日本福祉大学知多半島総合研究所 博物館「酢の里」
〇共編著 中央公論社
・森林浴はなぜ体にいいか
〇宮崎良文著 文藝春秋
・街道の日本史 和歌山・高野山と紀ノ川
〇藤本清二郎・山陰加春夫 編 吉川弘文館
・箸の文化史
〇一色八郎著 御茶の水書房
・吉野木材振興協議会 提供資料
・各市町村パンフレット
*写真提供(1.吉野という地・項)
吉野林材振興協議会