木の国・吉野の物語
文:宮崎ゆかり
構成・写真:ABARERU.jp
FEATURE
奈良県・吉野

2.木の国・吉野の森

山紫水明*2(さんしすいめい)の地・吉野は平安時代には広葉樹、杉、桧(ひのき)、樅(もみ)、栂(つが)などの天然木が自生する森が広がっていました。現在のような杉・桧の美林になったのは江戸時代のこと、造林や植林の歴史が始まったのは室町時代のことだったといわれています。享保(きょうほう)14年(1729年)に記された幕府の『諸州採薬記』(しょしゅうさいやくき)に、「川上筋の内この辺吉野杉名物にて山の上まで植置あり、他所村の谷に植ある杉より能(よ)く生ひ立ち候事(そうろうこと)」とあることから、植林などが行われていたことを窺(うかが)い知ることができます。
吉野は全国に知られる雨の多い地帯で、海抜300m〜800mという位置にあります。1年の平均気温は14℃で風は弱く、強風にさらされません。森林の土壌は保水性と透水性が良く、杉や桧の生育に適したところなのです。
吉野で林業が起こったのは豊かな天然林が広がる吉野川上流、川上村でした。ここで伐採された吉野の木材は、当時政ごとの中心地であった畿内*3に運ばれ、大きな建造物の用材として活用されました。天正(てんしょう)年間(1573〜1592年)、豊臣秀吉の時代になると吉野は秀吉の領有地となり、大坂城や伏見城をはじめ寺社仏閣を建造するために吉野材が用いられました。そのことがきっかけとなって、吉野材は広くその名を知られるようになったのです。
江戸時代になると、徳川幕府の植樹奨励などもあり、人工造林・植林はどんどん盛んになっていきました。
中世から近世にかけ吉野で林業が発達した背景には、立地条件に加え古くから吉野の山地で人々が木工を生業としてきた歴史があるといわれます。森の生態や樹 木の特性をよく知り、苗木を育てて植樹し、伐採して加工する、積み重ねられた知恵と技術が吉野には既に根付いていたのです。まだ確かな植林がなされていな かった時代、やがて吉野の優れた造林・植林法は諸国に伝えられていきました。日本林業の基礎は吉野で築かれたといわれるのは、こうした歴史があるからなの です。
吉野の里に立つと、用材に加工する製材所から木の香りが漂ってきます。吉野川ほとりの製材所では多くの人々が、かり出された木を運んで製材する姿が見られ ます。町のあちらこちらには、吉野の木に関わる仕事を生業とした人々が暮らしています。日常の中に吉野の木に寄り添う暮らしが息づいています。そんな情景 に出会うと現在に続く木の国・吉野を実感するでしょう。

*2
山紫水明:
山は紫にかすみ川の水は澄み切っている様子。つまり山河の景色が美しいことをいう。

*3
畿内:
律令制度における大和国・山城国・摂津国・河内国・和泉国のこと。現在でいう大阪府の大部分、奈良県全域、京都府南部、兵庫県南東部あたりのこと。


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