▼関連サイト(Facebook)
びしゅうくん。 尾州 一宮せんい産業応援隊
のこぎり屋根から、ガチャンと聞こえる。
平安時代以前から始まる愛知県一宮市の繊維産業は、約1300年の歴史をもつと言われている。
麻や絹、綿織物と発展し、明治24年の「身の終わり(美濃尾張)地震」とも言われた濃尾大震災の後、綿花の栽培が困難になり、それに変わるものとして羊毛を使った「毛織物」が始まった。
この産業は、濃尾平野の西に位置する旧尾西市・旧木曽川町・一宮市で大変栄え、戦後の高度経済成長期には織機がガチャンと動けば、万儲かると言われたガチャマン時代を迎えた。
この地域の古い呼び名「尾州(びしゅう)」という名は、今もテキスタイルやアパレルの世界で知らない人はいない。
現在も一宮市内で、夫婦で営まれている織物工場がある。
注文が入ると、時間と手間はかかるが仕上がりは美しく風合いが出る「ションヘル織機」を使って布を織っていく。
この織機は古く、効率が悪いため現在ではほとんど使われることはない。今ではわずかな部品で修理し大切に使い続けている。
「若い頃はこんな苦労はしなかったわ」
奥さんは少し笑いながら言う。
夫婦が織物工場を始めた当初は単純な織り方の製品が多かった。
織り込む糸も今ほど複雑ではなかった。
今は、スパンコールやリボンが付いた糸や、薄暗い工場内では見えづらい細い糸などさまざまである。それらを織り込むのに、わずか10メートルで丸一日掛かる事もあるという。
「あと5年だな、50年やれば区切りだ」
1300年の歴史の中の50年。
その間、多くの衣類の生地がここで生まれた。
「大変だけど私に合ってる仕事なの、やっぱり好きなのね」と、奥さんは笑顔を見せてくれた。
天からそそぐ日に照らされて鳴り響く織機の音。
長い繊維の歴史のひと時を生きる夫婦の後ろ姿に、言葉では表せない美しい情景を見た。
写真を通して、一宮のせんいの歴史とその技を伝える愛知県一宮の写真家