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COLUMN
ねぎぽん
関東の白ねぎ、関西の青ねぎ
ねぎの古名は「き(葱)」と言い、一言であることから室町時代(1336年-1573年)には隠語として「一文字(ひともじ)」とも称しました。
「き」と言う名はその独特な香りから「臭気」の「気」に由来していると言われ、「葱(そう)」という字は青々と茂る様を言い、地上に出ている葉の緑が濃いことから「葱」が当てられたと考えられます。その「葱(き)」の根と考えられた部分を食べることから元禄時代(1688年-1703年)頃には「根葱(ねぎ)」と呼ばれるようになっていきました。
関東では軟白部(白い部分)が長い白ねぎ(根深ねぎ)、関西では軟白化しない青ねぎ(葉ねぎ)が好まれます。
これは「文化の違い」と言うより、東西の土壌や気候の違いで分かれたと考えられます。
東日本では土壌が砂質であり耕土の深いところで育て寒さに耐えるよう土寄せをし軟白部を育てます。西日本では土壌が堅く粘質のため耕土が浅くなり土寄せし難いため軟白化せず葉を食用にします。
中国では紀元前からねぎの記録があり、後漢(25年-220年)末期の漢詩『孔雀東南飛』に「指は葱根を削るが如し、口は朱丹を含むが如し」と詠われ、葱根(ねぎの軟白部)は女性の白い指の譬えでもありました。